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zoom RSS 古を訪ねて <近江安土城 その壱>

<<   作成日時 : 2013/07/09 23:05   >>

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古を訪ねる旅もここのところ長篠、岡崎と

徳川所以の地を訪れる事が多かった。

ということで今回は、

西方の織田所以の地を訪れることにした。

岐阜城も候補地に挙がったが、自分はすでに登城済み。

相棒はまだ未訪なのだが、どうせなら2人とも訪れて

いない地ということで近江安土城址を訪れることにした。


安土城は、1576年(天正四年)1月に織田信長の命により
丹羽長秀が総普請奉行となり築城が開始された。
この頃の信長は東の武田氏を長篠で壊滅状態にし、
北の越前も平定し東と北の憂いを一時的に払拭した
時期でもあった。
朝廷から権大納言に任じられ、右近衛大将を兼任し
まさに名実共に天下人となり岐阜よりも地の利の良い
安土に拠点を移し天下統一に向けて新たな一歩を
歩み出そうとしたわけだ。
3年後の1579年(天正七年)に完成した安土城に信長は
移り住んだが、その僅か3年後に光秀の謀反により
本能寺にて横死し、安土城本丸はその後の戦の余波により
焼失してしまった。その後3年は二の丸を中心として
織田家の居城として機能していたが秀吉の支配力が
強まって行く過程で1585年に廃城となった。


さて7月6日(土)午前8時に出発し、ほぼ2時間で

安土に到着した。午前中から気温30度超、

フェーン現象で湿度も異常に高く、この環境での登城は

熱中症になってもおかしくなかった。

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安土山と観音寺城がある繖山を右手に見ながら安土城址へ向かう。

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駐車場で駐車料金500円を払い大手門の復元石塁を通り抜け大手道を進み、受付で入場料500円を払う。

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いよいよ安土城登城開始。不快指数100%の中、急峻な大手道を登っていく。
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登り初めてすぐ左手に伝羽柴秀吉邸跡がある。
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そして大手道を挟んで右側に伝前田利家邸跡がある。
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 仲の良かった2人の屋敷が並んであったとは何とも粋な配置と言える。

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さらに登っていくと伝徳川家康邸跡(現ハ見寺借本堂)がある。

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大手道の横道・七曲がり部分に入ると益々勾配がきつくなっていく。
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この辺りは勾配角45度はあるだろう。足には乳酸が貯まり、汗は止めども無く流れる。
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武井夕庵邸跡。

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ハードな七曲がりを登り切るとやっと平地になる。ここに椅子が用意されていたのでしばし座って汗が引くまで休憩する。

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少し疲れが取れたので気を取り直して少し先に進むと分岐点に辿り着いた。まっすぐ行くとハ見寺本堂跡に出るがまずは右に曲がって本丸へと進む。

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信長の嫡男信忠の屋敷跡を通り抜けると再び石段が待ち受けていた。少し登るとすぐに息が切れてくる。きつい上りだ。そうこう言いながら登っていくと前方に二の丸、本丸への入り口が見えた。

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その途中に森蘭丸、織田信澄の館跡の碑があるが実際はこのずっと奥の本郭の後方にあったとされる。

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二の丸入り口にある黒金門跡を通り抜け二の丸の下にある織田信雄四代供養塔に立ち寄る。ここは長谷川秀一邸跡と言われている。

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二の丸の石垣沿いに本丸へと向かう。この辺りの石垣は予想以上に残っていて迫力があった。

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先の石段の石仏といい、この仏足石といいいくら石が足りなかったとしてもこのような罰当たりなことをしたから後に仏罰を食らったのではと思ってしまう。


<その弐>に続く・・・・

Photo by Taul Osakada
Camera Sony α350 & DSC-H1


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