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zoom RSS 古を訪ねて 林野・小坂田家墓所 

<<   作成日時 : 2010/01/30 00:56   >>

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津山の実家へ帰省していた2009年の大晦日、
かねてより気になっていた美作市の林野にある
小坂田家の墓地を訪れた。

数年前ネット検索で<小坂田家>を探した時、
ヒットしたのは<ごさんべえのぺーじ>というHPの
記事のみだった。そこに小坂田家の菩提寺は
林野の寿林寺であると記載されていた。

そこで後藤家の重臣であり後藤氏滅亡後森家に仕え
のち帰農して三海田の大庄屋を勤めた小坂田家と
海田の小坂田家の家紋が同じなのか確かめるため
林野の町中にあるこのお寺を訪れた。

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小坂田家の墓を探して誰もいない寺内を
彷徨いていたら、さも怪しい人物に思われたのだろう
住職がいつの間にか出てこられていて、
お声をかけていただいた。

お話を聞くと大庄屋だった小坂田家の墓地は
寺内にはなく栄町にあるという情報を得ることが出来た。
現在の当主は勝間田にある小坂田医院の先生らしい。
海田小坂田家の墓はやはり海田にあると言うことだった。

詳しい道順を教えていただいて来た道を少し戻る。
美作市役所の少し先で右に入り細い坂道を少し上ると
数台車を停めることの出来るスペースがあったのでそこに
車を停めて歩く。
山道を登っていくと先に墓地が見えてきた。
そこには思っていたより多くの墓があった。
順に小坂田家の墓を探すが見つからない。
あきらめかけたが墓地の先にまだ道が続いていた。
その道を下っていくと、薄暗い林の中に小坂田家の墓所
を発見することが出来た。

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新しい墓もあったが中には相当古い墓もあった。
そして気になっていた家紋は何と<丸に橘>だった。
うちの家紋である<亀甲上り藤>とは全然違っていた。
これで三海田の小坂田家と海田の小坂田家とは、
同じ一族ではあるが別の家系だということが判明した。

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この墓所の真正面には、かつて三星城があった三星山が
鎮座していた。何とも言えぬ感慨を胸に来た道を引き返した。

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帰り道、真新しい立派な墓が目にとまった。
森家の墓だった。家紋は鶴丸紋。
なぜ林野のこの地に森家の墓があるのか
分からないが正真正銘、森一族の墓だろう。

雪花がちらつく山道を下っていたら道の脇に
急峻な上り道が目にとまった。
通り過ぎようとしたが、何故か後ろ髪を引かれる思い
に襲われて引き返しその道を上ってみた。
するとそこはかなり大きな広場で左手に墓所があるではないか。
まさかと思い近づいてみるとこれこそが探していた
大庄屋小坂田善兵衛の墓所だったのだ。
先に訪れた墓所は分家のものだったのかもしれない。

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確かに「ごさんべえのぺーじ」に載っていた写真と同じ墓だ。
家紋はやはり<丸に橘>。小坂田善兵衛の墓碑銘も確認できた。

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墓所の左手奥にも上り道が確認できたので上ってみた。
するとそこはかなり古い時代の墓所だった。
墓の文字はもう摩耗していて何が書かれているか
素人には判別不可能だったが、おそらく江戸初期の
墓所だろうか。三星山に向かって置かれている
墓が何か語っているように思われた。

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そしてそこからまた上に伸びる道があり
上ってみると一番新しい墓があった。
おそらくここが今現在の墓所なのであろう。
それにしてもこの墓所の規模の大きさから
かつての大庄屋の権勢を窺い知ることが出来た。
しかしながら今現在のこの墓所の侘びしさは
枯れ葉に埋もれた冬景色のせいもあるだろうが、
どこかものの哀れを感じずにはいられなかった。

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今回の調査で、林野と海田の小坂田家が別系統であることが
判明したのは大きな収穫だった。
海田の小坂田家は三星城攻城戦の前哨戦だった
海田・鷹巣城合戦に登場する勇士・小坂田三郎兵衛の
子孫なのかもしれない。などと夢想しながら林野を後にし津山へと戻った。

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コメント(12件)

内 容 ニックネーム/日時
私は、大阪に住んでいる小坂田です。親は津山市出身で墓は親戚も含めて津山市西寺町にあります。先祖は津山藩士だと聞いております。三海田の(現・栄町)墓所のHPは知ってましたし 三星城跡にも行きました。
ぜひ 墓所も行ってみたいです。
大阪の小坂田
2010/02/05 03:39
大阪の小坂田さん、初めまして。
私の拙いブログをご覧になって
コメントをいただき有り難うござい
ます。
三星山には登られたのですね。
機会があれば是非墓所へも訪れてみて
下さい。
こうして全国的に見ても少数派の
小坂田さん達が集い、色々情報交換
できたら、と思っています。
Taul
2010/02/05 18:17
このブログを紹介頂き拝見しました。東京の小坂田です。うちは隅切りの左三つ巴なので、また別なのでしょうね。
ただ遠い祖先は美作の出だと聞いたことがあります。
私もいつか訪ねてみたいです。
東京の小坂田
2010/04/24 22:03
東京の小坂田さん、
ご訪問ありがとうございます。
日本の氏名の中でもマイナーな
部類に入る<小坂田>ですが、
こうして全国の<小坂田>さん
からコメントが入り、心密かに
喜んでいる次第です。

そうですか、また違う家紋ですね。
ぜひ一度作州にも足を運んでみて下さい。
taul
2010/04/24 22:36
ついに先週taulさんのこのBlog記事を頼りに三海田(栄町)を訪ねました。別途何らかの手段でご連絡いたします。
東京の小坂田
2010/10/03 21:48
東京の小坂田さん;
行かれましたか。
分かりづらかったかと思いますが
たどり着くことが出来たようですね。
またその時の感慨などお知らせ下さい。
taul
2010/10/05 06:39
全国各地の小坂田さんこんにちは。私の本籍は美作町金原(昔は金屎かなくそ)です。古くは鈩があって製鉄かすが捨てられてその名がついたと父から聞いています。先祖は庄屋だったと叔父から聞いていますが家紋は丸に木瓜です。今は神戸の御影に住んでおり、本籍地には子供の時に行ったきりですが、今度ゆっくり訪ねたいと思っています。
御影の小坂田
2011/02/26 21:23
ルーツは美作と聞いています、我が家は美濃加茂市に妻と暮らしており、鳥取市に高齢の父が住んでいますが、ともに後継者がいない為、両県では氏が絶えてしまいます。少数民族と今日まで思ってきましたが、同氏の方が1500人余見えることを知り心強く思いました。(墓石の家紋は武田菱でした)有難うございました。
おさかなさん
2013/01/21 14:17
おさかなさん;
岐阜県にお住まいなのですね。岐阜県の小坂田は私一人かと思っていました。嬉しい限りです。しかしこうして皆さんの家紋をお聞きしてみると、同じ小坂田でも実にたくさんの種類の家紋がああることに正直驚いています。
taul
2013/01/21 19:14
はじめまして。blogを拝見しドキドキしました。私、父は神戸市須磨区出身育ちですが祖母(82)は岡山県林野の小坂田の養子として育っています。父も小さい頃は林野の家へ行っていたんだとか。祖母の母も老年期は神戸市須磨区で暮らしていました。神戸にあるお墓の紋はのぼり藤。昔はカニの絵かと思っていました(笑) 希少で奇妙な小坂田の名ですがいつもパワーをもらっている気がして誇りに感じています。結婚し姓が変わってしまい私で最後の小坂田になってしまった事が本当に残念。発祥の地へいつか行ってみようと思います!
神戸出身おさかださん。
2013/09/22 00:59
神戸出身のおさかださん;
家紋がのぼり藤なんですね。
ということは同じ家系なのかも知れませんね。なぜ藤の紋なのかいまだ判明しないのですが、もしかしたら主であった後藤家(のぼり藤)と関連があるのかと勝手に想像しています。
そうですか。そちらの家系は途絶えてしまったのでしょうか。ぜひ一度美作の地を訪ねてみてください。
taul
2013/09/22 06:52
私の父が、小坂田の家系を調べ、「小坂田姓を訪ねて」という本を数年前出版しました。英田、津山、江見、岡山県立図書館などの各図書館に配布したそうですので、機会があったら読んでいただけると幸いです。
小坂田です
2016/08/12 18:07

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