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zoom RSS 古を訪ねて <美作三星城>

<<   作成日時 : 2009/08/15 20:46   >>

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この盆に帰省した際、
小坂田家のルーツに触れるため美作市を訪れた。
私の祖父は,
海田の小坂田家の次男で大阪に出て府警に勤務していた。
戦後の混乱期、ヤミ毛布事件に荷担して懲戒免職となり、
それ以来本家とは縁が切れてしまい今現在も疎遠である。
よって小坂田家のルーツに関する家系図、
古文書などの存在についても伺い知れないのである。

まず英田図書館を訪れて「英田郡誌」を閲覧する。
これは大正12年に編纂されたものだが、
この書籍の人物欄に小坂田家についての記述が
あることをネットで発見したのだ。

記述は少なかったが、

小坂田但馬守  作州英田郡友野城主なり

小坂田河内守  作州英田郡友野城主なり
           (永禄・元亀1558年〜1573年の頃)

小坂田官兵衛  後年又四郎と改名す。
           元和7年(1621年)死す。
           数度軍功あり。 
           感状折紙を尼子晴久より賜う。

小坂田善左衛門 倉敷村へ出て大庄屋役を務む。
           追年困窮に困り慎訴して津府へ出て
           森家に仕ふ。年経て暇を乞い帰村す。
           諸奉公構にて三海田村の農となり。
           森家出勤中苗字長しとして君命により 
           村上氏を称す。

小坂田甚兵衛  森家に仕ふ。

といった記述や古文書の写しがあった。
おそらく英田郡の有力な国人だったのだろう。
小坂田家の出自はここでは判明しなかったが
信州塩尻の小坂田という地名と何か関係があるのだろうか。

また三好基之編著「新釈美作太平記」には、
三星城攻防戦において小坂田家の武士達の名が
多数出てくるが、巻末の「美陽勇士伝」に
森忠政が美作に入府した後の記述で
「小坂田善右衛門は森采女殿へ召し出され、小扶持を貰って
小笠流の師範をしていたが、その子三郎右衛門は
旧所三海田村を申し受けて大庄屋役を務め百姓になった。」
とある。
森采女は森家家老で長可、蘭丸、忠政の父・可成の兄弟・可政の孫である。
<小笠流>というのは恐らく小笠原流弓術の誤記ではないだろうか。


友野城は美作市友野にあった城だ。



英田図書館の帰りに本家のある海田を訪れた。
何故こんな山の中に海田という地名があるのか。
藤原鎌足の嫡男不比等(淡海公)の四男公郷が美作守となり
その後の子孫は淡海公に因み海のつく姓を名乗った。
その中に海田という姓を名乗り所領を賜った子孫がいたので
その名が今も残っているのである。
この地には倉見(倉海)、香々見(香々海)、吉見(吉海)、
三海田、奥海、南海、海内といった地名が今でも残っている。


海田から林野に出て三星山に登った。


三星山遠望。
画像


三星山登山口。この奥に急峻な上り道が続く。
画像


案内板には美作後藤氏の興亡が詳しく書かれている。
画像


少し登ったところにある後藤氏居館跡。
ここから上り道は急峻さを一層増す。
画像


先の山頂が二の丸跡。三星山遠望写真の真ん中の峰だ。
画像


二の丸山頂途中からの眺望。この数日後に大水害がこの町を襲った。
画像


画像


美作後藤氏については、下記を参考にしていただきたい。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E8%97%A4%E5%8B%9D%E5%9F%BA

http://www2.harimaya.com/sengoku/html/mi_goto.html

それにしても500年以上前、この場所で後藤家の重臣だった
小坂田家のもののふ達が刀弓を手に戦っていたのかと思うと、
暑さを忘れて何とも感慨深い思いが去来した。

画像

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コメント(7件)

内 容 ニックネーム/日時
この文はどなたが書かれたものか?たまたま美作の海田を調べていてこの文書を拝見し、興味深く読みました。小生も海田の小坂田家の末裔の一人だからです。
lagnetics
2009/10/13 16:01
これはご来訪ありがとうございます。
当方現在は東濃地方に住んでいますが
生まれ育ちは津山市です。
全国的に見ても数少ない同じ小坂田家
の子孫なのですね。
もしよろしければ、このページ右上
<メッセージを送る>からメッセージいただければ幸いです。
Taul
2009/10/13 23:02
はじめまして!
私も小坂田姓です。
昔に調べかけていた家系図を再開し、ちょうどまとめているところでしたので、このブログを発見し胸躍りました!
ぜひ情報交換させていただければと思います。ちなみに父は美作出身、私は神戸育ちで神奈川在住です。
おさまろん
2009/10/17 23:10
二家老竜門家
三ッ星城再建
2010/03/02 23:46
こんばんわ
父は津山出身、自分は現在大阪在住の小坂田です。
長野県の道の駅小坂田・小坂田池も気になるのですが、三ツ星城落城時三番家老であった織部宗弘の私称である織部と伊丹空港の小阪田にあった伊居太神社(穴織神社)はたまたま、それともつながりはあるのでしょうか?
花粉症
2010/03/07 00:03
花粉症さん;
どうも初めまして。
大阪空港のあたりが<小阪田>
という地名だったということは
知っていました。昔は<小坂田>
だったようですね。そこと小坂田氏
の因果関係は私もよく分かりません。
小坂田織部の<織部>は官位名だと
思うので伊居太神社との関わりは
ないと考えた方がよいと思います。

小坂田の氏名が地名から来ていると
したら大阪の小坂田か信州の小坂田
どちらかだと思うのですが、距離的に
大阪の方が可能性ありますよね。
まあいずれにしても推測の域を
出ませんが。
家系図等、はっきりとした出自を
示した古文書があればいいのですが。

Taul
2010/03/07 15:43
再びお邪魔します。
お教えありがとうございます。
資料が少ないので無理に結びつけようとしすぎなんですね。
私は、伊丹空港の小阪田が由来の地と思っていました。
昔、角川書店の地名事典で摂津國河辺郡小坂田村内にあったとされる伊居太神社(別名穴織神社)の祭神が渡来工女の穴織で穴織の実名「小坂」が地名の由来という記述を記憶していた為、織部宗弘は機織等を司った織部を私称したものと思い込んでいました。
たいへん失礼しました。

花粉症
2010/03/08 21:02

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