TAUL'S CORRAL

アクセスカウンタ

zoom RSS 古を訪ねて <岩村城 その壱>

<<   作成日時 : 2009/07/04 17:49   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

画像


PAXのメンバー河田文仁が住む岐阜県恵那市岩村町は、
この地方では数少ない貴重な城下町であり、その閑静な
佇まいは何度訪れても感慨深いものがある。



町の南東に位置する岩村城は日本三大山城の一つでもある。
標高721mの本丸は日本一高所にあると言われている。
先日思い立って久しぶりにこの城山に登ってみた。

まずは河田宅の近所にある「大将陣公園」を訪れた。

画像


岩村城は東美濃にあり信州との境に位置する。
よって戦国時代は織田と武田との争奪戦に巻き込まれ
数度にわたり激しい攻城戦を経験している。
1570年(元亀元年)、城主だった遠山景任は信長の援護を受けて
武田方の猛攻をかろうじて退けた。しかしその時に受けた傷により
病没してしまう。景任婦人おつやの方は織田信長の叔母であり
信長の5男御坊丸(勝長)を養子にもらい受けて遠山家を継がせた。
しかし幼少であったため、おつやの方が女城主として後見したという。

1573年(元亀3年)、信玄の上洛作戦に呼応して高遠城主だった
秋山信友が伊那衆を引き連れて再度岩村城を囲った。
この時も城方はよく守ったが、織田包囲網に苦しんでいた信長は
援軍を送る事が出来ず長期戦化したため、おつやの方は信友の
妻となる条件を泣く泣く呑み開城し、城は武田方に落ちた。

1575年(天正3年)、長篠の戦いで武田家をほぼ壊滅状態に
した信長は、岩村城奪回作戦を行った。長男の信忠を総大将に
3万もの軍勢で岩村城を包囲した。その時大将信忠が陣を
張った場所がここ大将陣と言われている。

画像

5ヶ月にも渡る攻城戦で冬が迫り援軍のない秋山信友は、
城兵の助命を条件に降伏した。そして信友、おつやの方
など5人がここで逆磔にかけられ処刑されたという。
(一説では岐阜に連行されて長良川で処刑されたとも言われる。)
その5人の首を葬った塚がこの大将塚だと言われている。
叔母であるおつやの方の裏切り、そして養子にした勝長を
甲斐に人質として送られてしまい、この時の信長の怒りは
相当なものであったのだろう。信長の命により信忠は
和議条件を破棄して5人を極刑に処し、助命により信州に
落ちのびようと城の南に位置する木の実峠を越えようとした
城兵(婦女子も含む)3千人を四方から囲み皆殺しにしたという。

余談だが、
河田文仁が若かりし頃、夜半に田んぼの向こうから
家の方に歩いてくる鎧武者の姿を見たことがあるそうだ。
UFOにしろお化けにしろ実際見た事がないので信じていない。
でも河田は決して嘘を言うような人間でない事は
長い付き合いなので分かっている。
このような歴史を背負った場所なのでありえるのかもしれない。
ちょっと背筋が寒くなるような夏向けの話だ。

画像

大将陣から城山方面を眺めると、その意外なほどの近さに驚く。
山城への攻撃における包囲網の狭さを実感する事が出来る。

それにしてもこんな近くにこのような史跡が
あったことを知らなかった自分が少々恥ずかしい。

画像

夏草にむせる大将陣をあとにして岩村城へと向かった。




テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
古を訪ねて <岩村城 その壱> TAUL'S CORRAL/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる